みなさん、こんにちは。
今回は私の高校時代にクラスメイトが亡くなったときのことが衝撃的でしたのでそのことを記事にしてみます。
ゴシップ的に書いているのではなく、なぜこのことをテーマにしたのかは後程書きます。
こちらのブログは開設して半年も経過しておらずアクセス数も少ないので、私が書きたいことを日記や備忘録のようにして書くこともあり、問題が生じたりアクセス数が増えてきたりしたらいずれ消去するつもりです。
こんな弱小レアブログを発見してくださった皆様にはいつも感謝しています。
さて、私は中高一貫校に通っていたのですが、中学から通っている子は高校になる頃にはもう同学年全員の生徒の顔と名前が一致するくらいになっている子が多かったと思われます。
私の旧姓を仮に島川とすると、その後ろに島田(もちろん仮名)が居て、須山(もちろん仮名)みたいな並びで居たとします。
私はその島田という子とは仲が良い方で帰る方向も一緒だったので、中学時代からたまに一緒に帰っていました。
島田は高校になってから須山さんと急接近し、2人で帰ることも多くなってきました。
私は須山さんとは中学時代に一度も同じクラスになったことも無く、須山さんとも帰る方向が一緒なのに一度も話したことが無く、どんな声だったかを思い出すことができません。
つまり彼女は引っ込み思案で無口というか、自分から友達を作ることが苦手だったのだと思います。
夏休みが明けて始業式、彼女の姿はありませんでした。
担任の話によると、夏休み後半に行ったテーマパークでアトラクションに乗って下りてきて「気分が悪い」と言い、地下通路を通ってそのテーマパークの搬入口(従業員通用口?)から救急搬送されて意識が戻らずいまだ入院中とのことでした。
私はそもそもテーマパーク自体が好きではなくて(というか混雑している場所が昔から大嫌い)興味も無く、彼女が乗ったのがどんなアトラクションだったのかは知りませんが、暗闇の中で進行方向が分からない中、首や体を左右にもっていかれながら進むものだったようです。
3か月間植物人間状態となり、11月に亡くなりました。
そのアトラクションのせいなのか、もともと持病があってそのアトラクションに乗ったことがきっかけで死に至ったのかはわかりません。
学年全員でお通夜に行くと、来訪者席の最前列にポツリと島田と島田のお母さん(と思われる人)だけが座っていました。
須山さんはおそらく中学時代には仲の良い友達はほとんどできず、高校になってやっと島田という友達を得たのだと思います。
担任が彼女の逝去後に家庭訪問をしたときのことを話していましたが、「部屋にキムタクのポスターが貼ってあった」と言ったとき、クラス中で「えーーーー?!」とみんなが驚いていました。
当時はSMAPが全盛期の時代だったのですが、SMAPが好きなにぎやかな友人達で「昨日の〇〇(テレビ番組)観た?」とか、「今月号の〇〇(雑誌)買った?」とかで盛り上がっていた輪に入っていなかったので、まさか彼女がキムタクが好きだとは誰も思わなかったのでした。
そしてここからが本題なのですが、わたしたちが今こうして生きていることは当然のことではなくて、自分が「親」と言う立場になったことで、自分の子が自分より早く死ぬこともあるわけです。
それは子が成人する前かもしれないし、自分が80歳になったときに子供が50歳で死ぬなどということも十分ありうるわけです。
自分がそうなったとき、わたしはこう思うことにしています。
「寿命というのはもう生まれたときから決まっている」
たとえば、須山さんがそのアトラクションに乗らなかったら今、元気に生きているのかというと、そうではないかもしれないのです。
そのテーマパークから帰宅するときに事故に遭って彼女だけが重体となって…などと別の形で亡くなっていたかもしれません。
自分の子の死を受け入れるのは難しいですが、もし私が自分の子を亡くした時に「自分がこうしなければ」「あのときこうしていれば」と思うのはやめたいです。
「運命」という言葉で片付けたくはないのですが、もうその子が生まれた時から決まっていること さらに言えば、自分が生まれたときからそういう子を産むということが決まっているのかもしれません。