あけましておめでとうございます。
今年も本ブログをよろしくお願いいたします!
お正月を振り返ってみます。
元日は、穏やかに過ごしました。
物心ついたときからコロナ前まではわたしの母の実家に夜に集まっていましたが、コロナが流行り出してからは集まらなくなりました。
母親の母(つまりわたしの祖母)がコロナ中に亡くなったのと、こどもの数が増えて、会場(母の弟一家の自宅)がキャパオーバーになった というのもあります。
わたしの母方の親戚は多産傾向なので、平成・令和の時代でも3人以上出産は普通なのです。わたしも4人産んでるし。
母の実家に帰省することもなくなったので、元日は自宅でのんびりしました。
ちなみに、母に聞いたところ、親戚間で仲が悪くなった とかではないそうです。
2日はわたしの実家に帰省しました。
実家までは徒歩8分くらい。
14時頃に行こうとしたら、二男の機嫌があやしい。
長女と長男はいとこに早く会いたくて出かける気満々だったのだけれども、二男がグズグズになってきたので、二男だけ昼寝させて長女と長男だけ先にいきました。
わたしと配偶者と二男、三男は17時頃に到着。
そこからは宴でした。
わたしの好きなもの(牛たんやら和牛で焼肉、ウイスキー、ビール)がたくさんそろっていたのだけれど、お酒はほとんど飲まずでした。(授乳中なので)
うちの3か月児はみんなに抱っこされてご機嫌でした。
うちの子、抱っこされるのが好きなようです。
みんなにかわいいかわいいと言ってもらえて、三男もご満悦でした。
三男の2か月前に産まれた同い年のいとこ(弟の第一子)とも交流したり。
お年賀とお年玉交換をして22時頃に帰宅しました。
わたしが子どもの頃は母方実家、父が長男なので本家で毎年毎年とってもにぎやかでした。
親戚の人数も多かったので、お年玉で今思えばかなりの金額をもらっていました。
今が楽しくないわけではないけれど、子どもの頃のお正月は楽しかったな。
ただ、母は祖母のおせち料理作りに付き合わされてとっても大変そうでした。
「毎年、大量に作って大量に捨てていたんだよ」
と、祖母が亡くなってから聞きました。
たくさんの料理でもてなすのが好きだった人なんです。
成人して大人になってからはわたしも手伝っていましたが、母は自分からそういうことをする人ではないので「もうやらなくていいよね」ということで、おせち料理作りは祖母が亡くなってからはやらなくなりました。
翌日の1月3日には予定が入っていたので、早く寝ないと ということで、帰宅してお風呂に入ったあとは、みんなすぐに寝ました。
つづく