みなさん、こんにちは。
今回は二男を出産したときのことをまとめてみます。
二男の出産の始まりは、長女と長男同様、破水からでした。
夜中、寝ていたときにいきなり破水したのです。
這いつくばってトイレまで行き、立ち上がったら羊水がでてきました。
過去2回とも破水だったので、羊水がどんなものか見たことがあったので知っていたのですが、二男のときの羊水は過去の物とは違うかんじでした。
色が茶色かったのです。
羊水は本来は薄ピンク色だったり、薄オレンジ色だったりするのです。
「今回は様子が違うぞ」と思い、すぐに産院に電話すると、「羊水混濁が起きているかもしれない」とのことでした。
羊水混濁とは、胎盤の機能が落ちてきていて、赤ちゃんが羊水のなかにうん○をしてしまった状態で、緑色であるならばそこまで問題ではないけれど(胎児のうん○はそもそも緑色なので)、茶色になってしまっていると出てしまってから時間が経過しており、もう早めに産んでしまわないと赤ちゃんがあぶない ということのようです。
夜中とも早朝ともいえる「未明」の時間に陣痛タクシーを呼んで産院に向かいました。
初めて見る真っ暗な産院に到着し、インターホンで呼び出して開けてもらい、羊水チェックなどをしてから2階に向かいました。
前回、二男の入院時には入らなかった陣痛室に通され、テレビをつけると朝6時のニュースが始まっていました。
提供された朝食をしっかり食べて陣痛を待つものの、なかなか実感する痛みが来ませんでした。
どうやら私は痛みには強いのか、なかなか陣痛に気づかないようです。
NSTの機械を装着していて、1階で外来の診察をしている産婦人科医のモニターにデータが送られていて、外来の途中に1、2回程様子を見に来ていました。
昼食もほとんど完食。ビーフシチューのなかのジャガイモが煮え切っていなくてそこだけ残しました。
そして午前中の外来を終えた産婦人科医が再度、様子を見にきました。
陣痛が来ていない私の様子を見て、「このまま陣痛が来ないようだったら、もう陣痛促進剤を打って産んでしまわないと赤ちゃんが危ない」と言われました。
「(陣痛促進剤)打ちましょうね…」と言われ、産婦人科医は分娩室を出ていきました。
「入院費が高くなるからいやだ!」とか思っていた矢先、その直後から事態は急変しました。
いきなり本陣痛が来たのです。
割れそうな腰の痛みで、分娩台ベッドのリクライニング部分が当たって痛い!と私はグズっていました。
しかし、急に「もう出る!」となったのです。
「まだダメ」と冷静に制止しながら慌てて足を固定する助産師たち。2人がかりで両足を縛られました。
慌てて入ってくる産婦人科医。(心の中で、促進剤の費用浮かせちゃってゴメンねと思う余裕はありました。)
このとき、フッと来たのです!!眠気が!!!
私の待ち望んでいた眠気が来て、「やった!眠り産イケる!」って一瞬だけ思いました。
しかし、羊水混濁が起きているので、もはや楽しんでいる場合ではなかったのです。
陣痛で1回力んで、次の陣痛でもう1回力んで、
「次で出す!!!!」と私。
宣言通り3回目で生まれました。
「すごい!!!」と大興奮の助産師。割と若めの助産師さんでした。
長女も長男も2,500gだったので、3kg超えは初めてでした。どおりで痛いわけだ。
「この分娩を担当させていただいて、本当によかったです!」とその助産師さん。
バースプランで、できるだけたくさん写真や動画を撮りたい と事前に書いていたので、その通りにしてくれました。
胎盤の写真も撮らせてもらい、分娩直後におやつを食べ、排尿ができたのを確認してから私だけ個室に行きました。
二男は羊水混濁のなかで生まれてきたので念のために保育器に入ることになったのです。
廊下を通るときに「前回はこの相部屋だったんですよー」みたいな会話をしながら、車いすに座って運んでもらって個室に通され、数時間後に別の助産師さんが部屋に来ました。
「私、ここの産院で10年くらい働いているんですけど、前回の分娩の担当、私だったんですよ。なんか覚えてるなぁと思って、カルテ見返してみたら、やっぱり前回取り上げたのが私で。」と。
6年も間が空いて、その間いろいろな妊婦さんの分娩を担当したであろうのに、私のことを覚えていらっしゃったのはなんか嬉しい。
そのあとは、新生児室脇のナース室(?)で私の出産について大盛り上がりだった とのことでした。
安産自慢のようになってしまいましたが、私にとっては過去の出産は良い思い出となりました。
今後、子育てに悩むことがあれば、自分のこの記事を見て出産したときのことを思い出してみたいと思います。